デスターレ、「上杉 謙信」「徳川 家康」など総数407名の英雄を追加

スミスアンドモバイルは、「デスターレ」において、本日12月22日、「上杉 謙信」「徳川 家康」など総数407名の英雄を追加する。

[日本]上杉 謙信(うえすぎ けんしん)戦国時代の越後国の武将・大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称されている。内乱続きであった越後国を武力で統一し、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、多大な戦果をあげた。武田信玄、北条氏康等の敵対勢力と同時に対抗しながら、その軍事的手腕を発揮して敵の侵略を阻止。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大した。

[日本]織田 信長(おだ のぶなが)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。現在の愛知県出身。戦国時代における三英傑の一人。尾張国守護代の一家老に過ぎなかった織田家(弾正忠家)を卓越した手腕で全国最大勢力にまで押し上げ、強力な中央政権の基礎を築いた。天下統一を目前に家臣明智光秀の謀反本能寺の変により志半ばにして横死。

[日本]徳川 家康(とくがわ いえやす)戦国武将、江戸幕府の初代征夷大将軍。徳川氏の祖。三英傑の一人。織田信長と同盟し、豊臣秀吉に臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上も続いた戦乱の時代(戦国時代、安土桃山時代)に終止符を打った。

[日本]武田 信玄(たけだ しんげん)戦国時代の武将、甲斐の守護大名。甲斐の守護を代々務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期には国内統一が達成され、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信と五次にわたると言われる川中島の戦いを行いつつ信濃をほぼ平定し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて武田氏の領国を拡大した。

[日本]豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし)戦国時代(室町時代後期)から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。尾張国愛知郡中村の半農半兵の家に百姓として生まれた。当初今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を表す。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、「中国大返し」により京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破る。その後、織田家内部の勢力争いで他の家臣はおろか主家をも制し、信長の後継の地位を得る。大坂城を築き関白・太政大臣に就任、豊臣姓を賜り日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げた。

[日本]伊達 政宗(だて まさむね)戦国時代の武将。出羽国(羽州)と陸奥国(奥州)の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し隻眼となったことから「独眼竜」等と称されている。

[日本]宮本 武蔵(みやもと むさし)新免武蔵藤原玄信のことであり、江戸時代初期の剣豪。二刀を用いることで有名な二天一流兵法の祖。水墨画家・工芸家としても知られる。名字は宮本、通称は武蔵、本姓は藤原、諱は玄信。幼名は辨助、号は二天。

[日本]佐々木 小次郎(ささき こじろう)安土桃山時代から江戸時代初期の剣客である。号は巌流。安芸国の毛利氏に仕える。武者修業のため諸国を遍歴し、「燕返し」の剣法を案出、巌流と呼ばれる流派を創始。小倉藩の剣術師範となる。1612年(慶長17年)刃長三尺三寸の野太刀「備前長船長光」、通称「物干し竿」を使用して、武蔵と巌流島で決闘する。

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